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海のエジプト展
パシフィコ横浜・ホールD
神奈川県横浜市西区みなとみらい1-1-1


クレオパトラの愛した都へ、ようこそ
横浜開港150周年記念 開国博150Y共催イベント海のエジプト展
〜海底からよみがえる、古代都市アレクサンドリアの至宝〜

会期: 2009 6/27(土)〜9/23(水・祝) 無休・89日間
展覧会は終了しました。

開館時間:9:30〜18:00 (入場は17:00まで)
会場:パシフィコ横浜 ホールD

― 海底に眠っていた2000年前の古代都市がよみがえる ―

「海のエジプト展」は、フランスの海洋考古学研究者フランク・ゴディオ氏が90年代から続けてきた、カノープス、ヘラクレイオン、アレクサンドリアという3つのエジプト海底遺跡の発掘成果を紹介する国際巡回展です。
これまでベルリン、パリ、ボン、マドリッドで開催、トリノを経て、いよいよ開港150周年で賑わう横浜で開催されます。

2009 7/1 プレス内覧会のレポート
会場:パシフィコ横浜 ホールD


―「海のエジプト展」 特別企画―
2009 7/1 約5mの巨大石造前でのプレスレポートの、ご紹介です。

画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。


「海のエジプト展」フランク・ゴディオ氏

フランク・ゴディオ b1947
欧州海洋考古学研究所・所長


フランク・ゴディオ Franck Goddio
1947年カサブランカ生まれのフランス人海洋考古学者。欧州海洋考古学研究所の所長。祖父は船乗り、冒険家、作家で南太平洋の旧海上ルートの発見者、そして現代の双胴船の創作者でもあるエリック・ド・ビショップ。1992年、エジプト考古最高評議会とともに大規模な海洋考古学のプロジェクトを開始。これまでに古代アレクサンドリアの大港「ポルトス・マグヌス」の地図作成、アブ・キール湾に沈んだ東カニープスの主要神殿の発見、湾沿岸から7km離れた地点に位置する都市ヘラクレイオンの発見などの成果を上げる。2003年には、オックスフォード大学に所属する海洋考古学オックスフォード・センターを共同創設した。
― 海底からよみがえる、古代都市アレクサンドリアの至宝 ―
クレオパトラが愛した都アレクサンドリアの一部と、その近隣のカノープス、ヘラクレイオンの町は、地震や地盤沈下など自然現象により、8世紀末には海底に沈んでしまいました。3つの古代都市の海底遺跡は、以前からその存在を知られていましたが、技術的な理由などから、これまで大規模な発掘には至りませんでした。90年代から始まった、フランスの海洋考古学研究者フランク・ゴディオ氏による調査と発掘作業により、1万5000点にも及ぶ彫像や石碑、宝飾品やコインなどが発見され、2000年前の都市や王宮の様子、神を中心とした人びとの暮らしなどが分かってきました。

T.カノープス :紀元前331年に、アレクサンドロス大王によってアレクサンドロスの都市と港が築かれるまで、4世紀にわたって、東地中海におけるエーゲ世界とファラオ世界の接点は、カノープス地域であった。
水没したカノープスの遺跡は、アブ・キール湾の東、約10kmの地点で発見された。カノープスの遺跡は、1933年にオマル・トゥースン王子によって発見されていた。欧州海洋考古学研究所は、文献資料にあるセラピス神殿と考えられる巨大な建物を発掘した。また、西からは、ビザンツ時代の大きな正方形の建物と関連施設が発見された。ビザンツ時代の宝飾品、十字架、貨幣、印章などの出土品から、キリスト教徒の居留地があったと考えられる。

「カノープスの神殿」セラピス神像の頭部
「ファラオの権力」ファラオの頭部
「金の宝飾品」様々な金製品
カノープスの神殿:CANOPUS
・セラピス神像の頭部:Head of Sarapis
この頭部は、頭の上に見られる伝統的な神の王冠であるカラトスを載せるための平らな部分があることによって、セラピス神のものと考えられる。
ファラオの権力:CANOPUS
・ファラオの頭部:Head of a Pharaoh
古代エジプトの王は、生ける神として強大な権力を持っていた。エジプトの王は、しばしば「ファラオ」と呼ばれるが、これは古代エジプト語で「偉大なる家」を意味する「ペル・アア」という語に由来している。
金の宝飾品:CANOPUS
・様々な金製品:Various gold objects
地中海地域は、古くから交易が盛んであり、多くの民族が交流した場所であった。カノープスで発見された数多くの硬貨は、外国人による統治と交易が長期にわたり続いていたことを示している

U.ヘラクレイオン ( トニース) :沿岸に位置するヘラクレイオンは、自然の港湾に恵まれ、ギリシャ人や、地中海からエジプトへやって来る商人たちの玄関口となっていた。
欧州海洋考古学研究所は、アブ・キール湾の沿岸から6kmの地点での調査で膨大な数の遺跡を発見している。水没した地域が広大であるため、当初は、発掘された建物や町の名を特定することが困難であった。しかし発掘が進むとともに、この町がヘラクレイオンであることがわかった。まず、アメン・ゲレブをまつった祠堂、次に、ギリシャ語で記された黄金の銘板が発見され、プトレマイオス3世が、この地にアメン神の息子コンス神と同一視されたヘラクレスの神殿を造営したことが明らかになった。。

「オシリス神、イシス女神、ホルス神=ハルポクラテス」王妃の像
「ヘラクレス神殿」プトレマイオス8世のステラ(石碑)
「繁栄する経済」ネクタネボ1世のステラ(石碑)
「約5mの巨大石像」プトレマイオス朝のファラオの巨像
オシリス神、イシス女神、ホルス神=ハルポクラテス:HERACLEION
・王妃の像:
The black stone queen with inlaid eyes.
古代エジプトで最も普遍的人気を誇った神は、冥界の主であるオシリス神であった。人は誰でも死ぬとオシリス神となって再生・復活すると信じられていた。オシリス神と彼の妻イシス女神、その息子のホルス神の3神で家族が構成されていた。
ヘラクレス神殿:HERACLEION
・プトレマイオス8世のステラ(石碑):
Stele of Ptolemy Vlll Euergetes U
ヘラクレイオンの海底で、大きな参道跡や高さ5uにおよぶ3体の巨像を含む石造類、儀式や奉納に使われたと思われる道具など発見され、ここに神殿があったことがわかった。ヘラクレイオンの神殿の北巨大な彫像の150m先の地点で大きな石碑が発見された。石碑には34行のヒエログリフの碑文が刻されている。
繁栄する経済:HERACLEION
・ネクタネボ1世のステラ(石碑):
Stele of Thonis-Heracleion
欧州海洋考古学研究所の発掘の中でも、最も驚嘆に値する重要な発見が、ヘラクレイオンで出土したこの「ネクタネボ1世のステラ」である。このステラ(石碑)により、ヘラクレイオンの町がエジプトではトーニスと呼ばれ、この町の経済活況が明らかとなった。
約5mの巨大石像:HERACLEION
・プトレマイオス朝のファラオの巨像:Colossus of a Ptolemaic King
ファラオ(王)と王妃の像は、背柱に背をつけまっすぐ立ち、足を一歩踏み出している。この王と王妃の像は、プトレマイオス朝の支配者の大型の像の中では保存の良いものである。このような像は新王国時代と同様に、神殿の表に立てられていた。王は神殿に目を配り、その偉大な姿を民衆に見せつけ、崇拝の対象となった。

V.アレクサンドリア : 「地中海の真珠」と称えられ、エジプトの第2の都市で、カイロから北西208km、車で3時間半ほどの距離に位置する。
1992年以来、欧州海洋考古学研究所は、アレクサンドリアの港で調査を進めてきた。発掘と堆積物の分析により、多くの破壊された建物が古代の地面のあった高さから8m、現在の海面からは6m水没していることがわかった。東の港とその周辺の考古遺跡の詳細な地図が作成され、古文書の資料と照らし合わせることで、多くの建造物や施設が明らかとなった。ロキアス岬には、プトレマイオス朝の王族の宮殿や庭があった。アレクサンドリア大図書館やポセイドン神殿、クレオパトラ7世の命により、ユリシス・カエサルを讃え建造されたカエサリオンなども、宮殿に隣接した地域にあった。

「アンティロドス島」オシリス・カノポス壺を抱く神官像
「失われたアレクサンドリア」碑文のある彫像の台座
「アレクサンドリアの豊かさ」ロードス島のアンフォラ
アンティロドス島:ALEXANDRIA
・オシリス・カノポス壺を抱く神官像:
Priest bearing in his veiled hands an Osiris-Canopus jar
アンティロドス島には、プトレマイオス朝の最後の支配者であった有名なクレオパトラ7世の想いの場所といわれる小宮殿が存在したことが知られている。島の小さな岬部分からは、オシリスの壺を抱いたイシス女神に仕えた神官の美しい像と2頭のスフインクスが発見されている。これらの彫像の発見から、この島にはイシス神殿があったと考えられる。
失われたアレクサンドリア:ALEXANDRIA
・碑文のある彫像の台座:Inscribed base of statue
紀元後3世紀にローマ帝国皇帝カラカラによる大虐殺や、キリスト教徒による暴動などあった。ローマ支配を経て、イスラム支配の時代にあった紀元後8世紀、カノープス、ヘラクレイオン、そしてアレクサンドリアの一部が、自然現象によって海の底に沈んだ。この地域では、紀元前3世紀以降、地震と津波が何度か記録されている。地盤が粘土質であったことの加え、重量のある建造物が多かったことで、より沈没しやすかったのであろう。栄光の古代都市は、こうして伝説の都市になった。
アレクサンドリアの豊かさ:ALEXANDRIA
・ロードス島のアンフォラ:
Rhodian amphora
海底から引き上げられた膨大な量の輸入土器は、アレクサンドリア商人が、広範な地域と取引を行っていた事実を示している。アレクサンドリアは、東地中海最大の商業中心地となり、世界中の品々がこの町を通過した。紀元前30年に始まるローマ帝国の支配により、アレクサンドリアは首都の地位を失ったが、その後も長く、地中海世界で最も壮麗な国際都市であり続けた。


― アレクサンドリアの支配者 ―
紀元前331年、アレクサンドロス大王によって建設されたアレクサンドリアは、プトレマイオス朝の王都として栄え、ヘレニズム文化圏の芸術・経済の中心として古代世界最大の都市となっていった。アレクサンドリアの栄光は、プトレマイオス朝の王たちの功績である。彼らは広場、競技場、壮大な神殿をもった典型的なギリシャ風の都市を造った。周壁に囲まれ、王のための庭園と邸宅をもつ巨大で豪華な建築群と、比類ない港湾施設を備えていた。平和と栄華を誇ったプトレマイオス朝のエジプト王国も、支配階級の堕落により国力が次第に衰え、紀元前1世紀のクレオパトラ7世の頃のエジプトは、当時地中海世界で勢力を拡大しつつあったローマに徐々に脅かされるようになる。クレオパトラ7世は、ローマの英雄カエサルやアントニウスと関係を結び国家の存続をはかるが、紀元前31年、アクティウムの海戦でローマのオクタウィアヌスに破れ、翌紀元前30年、彼女の死とともにプトレマイオス朝は滅亡。ローマ帝国の支配下に入ったエジプトでは、ファラオに代わり、ローマ皇帝が新たな支配者になった。

主催:朝日新聞社、TBS、「海のエジプト展」実行委員会
(朝日新聞社、TBS、博報堂、博報堂DYメディアパートナーズ、テー・オー・ダブリュー)

共催:横浜市、横浜開港150周年協会
後援:外務省、エジプト・アラブ共和国大使館、フランス大使館、横浜市教育委員会、
神奈川県教育委員会、朝日学生新聞社、TBSラジオ、神奈川新聞社、tvk、FMヨコハマ、ラジオ日本
特別協力:ヒルティ財団
特別協賛:日興アセットマネジメント
協賛:日本ヒルティ、凸版印刷
協力:カネボウ化粧品、日本貨物航空、JR東日本
企画協力:ファクト・コンセプトウール社
お問合せ:展覧会ダイヤル 0570-060-060

参考資料:Press Release、「海のエジプト展」カタログ他。
※写真撮影は全て、主催者の許可を得て行っております。


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